小説に型は必要なのかということについて
型はいるんだろうか?
序破急、起承転結、創作論。テンプレート。
芸術事というのは不思議と型にはまりたくない、独自要素を出したいというような考えのもと、型に当てはめないで作るというやり方に固執する人が結構いますよね。
自分の色を出したい。
自分だけの世界を作りたい。
この気持ちはとても良くわかります。
ところが、これは他の事に当てはめてもらうと分かりやすいと思うんですけど、実際は上達しようと思うと、どのようなことでも型とか手本が必ずあるんです。
小説だと理解できないという人のために他の例を挙げると、水泳。
水泳では、自由形があって、その自由形の中ではみんなクロールを泳いでる。
それはクロールが一番早いからです。
一番早く泳げるクロールというフォームの中で、各々のフォームの微妙な差があり、体の鍛え方が違うという差があって、タイムが変わってくるわけですね。
で、形にこだわらない自分のやり方でやると言ってる人っていうのは、なぜかその人だけクロールじゃなくて犬かきで速度を求めてるんです。
これ、傍から見たら滑稽じゃないですか?
本人は必死なんですよ。でも、どう考えてもやり方を間違ってる。
もちろん本当にその人が努力すれば、犬かきでは世界一になれるかもしれない。
では自由形で競争した時に一位になれるかって言うと、それはすごい難しいことだと思うんです。
これが俺の型だ! っていくら叫んでも、タイムが出なかったら誰も認めてくれない。
これが小説における型の重要性だと考えています。
そして、ずっと一人で犬かきをしてて、周りの人は笑ってばかりいるような人ばかりじゃない。
きっと何かアドバイスをくれると思うんです。
ここはこうした方がいいよとか、起承転結に当てはめてみたらとか、上手い人の作品の形を真似してみたらどうって。
素直な人っていうのは、この時点でアドバイスを受け止める。
ちょっと遠回りしたけれど、そのアドバイスを生かすことができるんですね。
だから新しくフォームを覚えてタイムを伸ばしていくことができる。
ところが、自分のやり方に固執してしまって、意固地になってしまう人っていうのはいつまでも成長しない。
成長しないから認めてもらえない
周りから評価がされないから面白くない。
で、悩んでしまうんです。
小説の型を徹底的に真似することは、けっして恥ずかしいことじゃないし、そんなことでオリジナリティは消えたりしない。
それを知ってほしいと思います。
どんな小説の型を学べばいいのか?
次にどんな形を学ぶのがいいのかって言うと、これもいい方法がちゃんとあるんですね。
ひとつは自分が本当に大好きな作家さんの作品。
もうひとつは、世間的にも評価されている作品。
この両方を満たした作品が手本にするべきものです。
自分が大好きでも、世間に認められていないと、それを真似したところで結局認めてもらえない。
世間に認められているからといって、自分が好きでもないような作品を真似しようとすると、とてつもなく苦労したり苦痛があったりと長続きしません。
そして手本にした作品の真似の仕方なんですけど、自分が楽しめて一番手っ取り早い方法は二次創作を書くことです。
二次創作は、世界観であったりとか、キャラの作り込みであったりとかっていうのが、もうすでにできているので、後は物語を作るだけと言う段階です。
これは一次創作で例えば世界観をしっかりと作り込むにあるとかキャラの奥深さを考えながら作るって言うな非常に難しいそして奥深いところを省くことができる。
もちろん最終的には自分でそう言った世界観を作る作業っていうのもどんどん練習してやっていかないといけないんですけどまずは2次創作から始めるってのは段階としては一番優れているんじゃないかなと思います